【千葉県】新五千円札の顔「津田 梅子」ゆかりの地・佐倉

新五千円札の顔「津田梅子」ゆかりの地として今年注目を集めている千葉県佐倉市。かつては、江戸の東を守る要衝として「佐倉城」が置かれ城下町として栄えていました。今も旧大名の旧宅や武家屋敷群が残っています。

日本初の女子留学生、女子高等教育のパイオニア「津田 梅子」

今年7月に発行される新五千円札の顔・津田梅子。佐倉藩士の農学者・津田仙の二女として江戸で生まれ た明治の教育家です。6歳で日本初の女子留学生として渡米し、約11年間の留学期間を終えて日本に帰国後、女性の地位向上を目指し35歳で現在の津田塾大学の前身、女子英学塾を創立しました。「自立した女性を育成」 することを目的とした「高等教育」に力をいれ、日本の女子高等教育の先駆者といわれています。

新五千円札の顔「津田 梅子」ゆかりの地「佐倉市」

江戸時代には佐倉藩が置かれ、江戸の東を守る要衝として「佐倉城」が築城された「城下町・佐倉」。地理的に重要な場所であったため、有力譜代大名が多数配置され、江戸幕府を支えてきたといいます。中でも有名なのが日本を開国へと導いた堀田正睦(まさよし)。洋学を振興したため、佐倉は江戸に多くの人材を輩出する「学問の都」としても発展しました。1843年には「佐倉 順天堂」が設立。ここで学んだ若者が明治の医学界で活躍するなど、「蘭学のまち」としても知られていました。
「佐倉城址」には、天守閣跡や、空堀など城の遺構が多く残されており、千葉県内で唯一「日本100名城」に選定されています。「城下町・佐倉」は、「門前町・ 成田」「商家町・佐原」「港町・銚子」とともに、2016年には「北総四都市江戸 紀行・江戸を感じる北総の町並み」として日本遺産に認定されています。

現代に受け継がれる歴史遺産 「旧堀田邸」と「佐倉武家屋敷」

旧堀田邸
旧堀田邸は、最後の佐倉藩主である堀田正倫(まさとも)の邸宅として1890年に竣工。明治期の伝統的な和風建築の特色が残されています。玄関棟・座敷棟・居間棟・ 書斎棟・湯殿・土蔵・門番所の7棟は、2006年に国の重要文化財に指定されました。さらに、庭園も、邸宅 とともに残る旧大名家の庭園としての貴重性から、2015年に国の名勝に指定されています。一般公開されているので、当時の歴史や文化に触れたい人にはオススメのスポット。

佐倉武家屋敷(旧河原家住宅・旧但馬家住宅・旧武居家住宅)
城下町・佐倉の面影を残す武家屋敷通りに面して建つ「旧河原家住宅」(千葉県指定文化財) 「旧但馬家住宅」(佐倉市指定文化財)、「旧武居家住宅」(国登録文化財)。佐倉藩士が暮らしていた住宅で、一般公開されています。それぞれの屋敷では、家格の違いによる建坪の広さや家のつくりの違いを見ることができるでしょう。「旧但馬家住宅」は、当時から現在の場所に建っていた武家屋敷で、年に数回、甲冑 試着会も開催されているそう。甲冑を身にまとい武士の気分を味わうチャンスです。

もう一つの城跡「本佐倉城跡」

本佐倉城跡 現在の佐倉市と酒々井(しすい)町にまたがる本佐倉城は、下総の名門武家・千葉氏の居城 として文明年間(1469~1486)に築かれた城です。自然の地形を活かし、台地を削り谷を埋め、 堀や土塁を配した山城跡。現在も空堀・土塁・櫓台に守られた郭群などが残されています。戦国時代の面影を残す重要な文化財として1998年には国の史跡に指定されました。

印旛エリアの歴史スポット

佐倉にはほかにも多くの歴史的なスポットがあります。日本の近代医学を支えた蘭学塾 兼 医院「佐倉順天堂記念館」、江戸時代からほとんど変わらない美しい竹林が広がる「ひよどり坂」、千葉を代表する難読地名の一つ 「酒々井町」の由来となった酒の井伝説を記念した「酒の井の碑」。そして見るだけでなくお腹も満たしたい時にぴったりなのが江戸中期から続く酒蔵「飯沼本家」の 敷地内にある「きのえねomoya」です。築約300年の「母屋」を改修したレストランで暦を大切にする酒造りと 関わりが深い「二十四節気」をコンセプトにした料理と、蔵元でしか味わえ ない特別な日本酒を楽しめます。

今まさに注目を集めている佐倉。貴重な文化財や歴史についてわかりやすい解説をしてくれる「文化財ボランティアガイド佐倉」を利用するのも楽しい歴史散歩になりそう。

日本編集部(Nippon Editorial Department)
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